硝子体手術(再手術・その後)

前に書いてからだいぶ間が空いた。仕事が始まると忙しく、のんびりブログ記事を書いているヒマはないので仕方がない。

 

全開の手術後は結局、円孔がうまくふさがらず、手術からほぼ1カ月語に再手術を受けたのだった。1回目の手術でガスタンポナーデがあまりうまくいかなかったと判断されたためか、2回目ではシリコンオイルを注入。後日抜去手術が必要になるので、あまり現在ではおすすめされていないようだが、ガスで不十分と判断された場合には使われるらしい。

 

現在、2回目の手術から1カ月あまり経過したところだが、残念ながらやっぱり穴は塞がっていないようだ。とりあえず様子見を続けているが、今後も治療を続けるかどうかは悩みどころ。手術を受けた目の視力は、適切に強制すれば0.2ぐらいは出るのではないかと思う。黄斑部のゆがみはつらいが、それ以外の部分の視野の曇りは手術で解決する感じはせず、これ以上いじってよいものかどうか。ただ、文字を読むのがつらいのは困るといえば困るので、何か手段があるか相談するということになるかもしれない。

硝子体手術を受ける(7)

手術8日目

昨日書けなかった分。

手術から丸1週間が経過した。起床時も目の痛みは取れず。家人に見てもらうと、目に小さなニキビのようなものがあるという。それは目が痛いはずだよなあと思うが、朝の点眼をすると、痛みがだいぶやわらぐ。午後に入り夕方ごろには痛みは気にならなくなっていた。めでたい。

点眼は現在、3種類を5分以上間隔を空けて、1日4回。毎回10分以上かかるので、食事と同様イベント感はある。使っているのはレボフロキサシン(抗菌薬)、サンベタゾン(ステロイド)、ジクロード(ステロイドでない抗炎症薬)。薬によるトラブルは今のところなさそう。

この日から会社に復帰。左目だけでの復帰で、あまりものの役に立つ感じはしないが当分はこの状態が続く。ルーペを使っているとはいえ、仕事をするのはなかなか難しい。手術前からなるべく片目で仕事をするようにしていたが……。パソコンはウィンドウズの表示拡大機能(「Windows」+「+」キー)にだいぶ助けられている。レンズ表示よりも全画面の方が便利。

手術した目も、痛みが引いたので開けることはできるのだが、開けても眼内のガスの気泡やゴミが目につくだけで、仕事の役には立たないのだった。気泡の割合は、もう視界全体の1割程度まで小さくなっている。気になっていた小さな気泡はいつの間にか消えていた。体を動かすと、目を閉じていても気泡がふるふると揺れるのが気になるが、この調子だともう数日で消えるのだろうか。

硝子体手術を受ける(6)

手術直前

手術当日の朝食はパンで、お茶とスープと牛乳がついていた。こんなに朝から水分とったら、手術の途中でトイレに行きたくなったら困るな、と思いつつ全部飲んでしまう。今回の手術で一番心配になったのは痛みのことや見えるようになるかどうかよりトイレのことだったのか……その意味では無事に乗り切ることができ、手術は成功だったといっても過言ではない(かもしれない)。でももしまた手術の危機があるとしたら、牛乳は飲むのをやめて冷蔵庫に入れておけばいいかな、とは思った。

手術当日の朝に診察を受けたかどうか、これがもう記憶があいまいだ。手術を受けてからは3日連続で朝乃診察があったことは間違いないが。でもたぶん診察は合ったのだろうと思う。ただ、術前の診察はこれまでの定期検査ともさほど替わらないので記憶Jに残っていないのだろう。

朝食の直前に点滴の針を入れる。これはちょっと痛かった。やはり看護師さんにも得手不得手があるようで(院内の採血センターで針を刺されたときには、逆に全く痛みを感じなかったので驚いた)。手術医に着替えて、9時ごろから点滴を開始。何かあったときのためのルートの確保なのだろう。点滴の前にトイレに行っておけ、と案内の紙には書かれていたが、このまま手術の終わった12時ごろまで待たされたらかなわなかった。「点滴持ってトイレ行っていいですよ」と言っておいてくれた看護師さん、ありがとう。

術後の状態

手術中のことから、部屋に戻って昼食、昼寝というところまでは既に書いた。とりあえず2時間、14時半ごろまではうつぶせ寝の状態を維持する。顔の下に敷くU字枕を二つ、体の下に敷くクッションを一つ貸してくれていたので、それらを使って体制を維持していたが、手術を下目が枕に当たらないか気になるし、体勢としてどうしても寝にくいしで難渋する。しかも点滴をまだつけているので、あまり自由に動くこともできない。ちなみに手術を受けた目は、ガーゼをつけた上にプロテクターの眼帯をつけ、そのうえからさらにガーゼとテープで固定されていた。

そんなこんなで、なるべく腹ばいを維持しながらもぞもぞしていたが、夕方になると点滴も外れ、手術医も着替えてよいと言われる(着ていたかったらずっと着ていてもよかったみたいだが)。夕飯のころには「ともかく下向きを維持できれば、腹ばいになってなくてもいいかねえ」という気持ちになり、身体的には楽な姿勢をとるようにはなっていた。(たぶん続きます)

硝子体手術を受ける(5)

手術7日目

金曜日に手術を受けてから、きょう木曜で7日目。
しかし今日は起床した直後から目が痛む。ガスの大きい気泡の外側にひっつくように、小さい気泡が見えるようになり、これも気になる。目の痛みとあわせて考えると出血があったのか、とも思うが色は赤くはないので、とりあえず様子見。

痛みは目を動かさないようにしていればそれほどではない。昨日まで活動しすぎたか……ただ、明日から出社することを考えると、あまり動かないでいるのもよくないかと思ったのだが。再入院などになっては元も子もないので、今日はおとなしく過ごしたい。

ガスは昨日の夕方には、視界の2割程度になったように見える。ただ、寝ている間にはあまり小さくなっていなかった。気泡は黒く縁取られており、泡を通してみる外界も、若干黒っぽい。泡の縁の部分にゴミ?が集まっているのかとも思う。泡が消えきるときには、このゴミはどうなるのだろうか。

硝子体手術を受ける(4)

手術6日目

先週の金曜に手術を受けてから6日目になる。

眼内のガスは明らかに減ってきており、見た感じとしては7対3ぐらいで、見かけ上は水の入っている上側のエリアが優勢になっているようだ。このままガスは抜けていくのだろう。水のエリアは相変わらず、ゴミのような黒い点が多数浮いているような感じ。こちらの目で外界を見るのは、ゴミだらけの水槽を通すような感じになる。

もっとも今でも下を向くと、視界の大部分は気泡に覆われる格好になる。首を振ると泡も小さくぷるぷると揺れるのは少し面白い。気泡を通した視界は、水槽越しよりさらに不良。気泡が消えれば少しは視界が確保されるか、とは思うが網膜を固定する必要があることを考えると、まず消えるまでの下向き時間はやはり大事にしなければならないと思う。

痛みは時たま、思い出したように出る。といってもひどい痛みはないので基本的にスルー。糸が溶けるまで2カ月と聞いたが、その前に術後1週間もすれば、糸の角が取れてきて痛むことはあまりなくなるでしょう、とはドクターの弁。そう期待する。

硝子体手術を受ける(3)

術前の管理

手術のことはとりあえず書いてしまったので、その前後のことを。

手術の前日、午前10時半に入院。新型コロナのご時世なので、付き添いの妻は病棟のラウンジまで。入院前の診察を受けている間に、妻が入院の手続きをしてくれていた。入院の3日前にコロナのスクリーニング検査を受けたのも当世風か。これは入院の前日に結果が伝えられ、陰性で済んでいたのは助かった。入院延期などとなったら、仕事の都合をつけるのがまた大変なので。

診察と手続きが済んだら入院だが、特にすることがない。とりあえず昼食となったが、この日は二の丑だったようで昼食にうな丼が出たのには驚いた。もちろん店で食べるようなものではないけれど、ここでウナギを出してくれようという、食事を提供する側の気持ちがうれしい。食事は終始、手間がかかった、食べやすい味付けのものが提供されていた。何百人分の食事を一気に作るのは大変だろうに、ありがたいこと。

手術前の点眼などあるのかな、とは思ったが特筆するほどのものではなかった。体温と血圧は時間をおいて看護師さんが計測に来てくれたが、それだけ。ほかには外来でOCT(網膜の断層撮影)をとったぐらいだが、これも普段の診察で受けていることなので特別な感じは全くない。

黄斑円孔発見のきっかけ

そもそも15年前にぶどう膜炎をやってから、定期的に検査を受けていることが今回の黄斑円孔の発見のきっかけになったことは間違いない。ぶどう膜炎発症時にはベーチェット病の疑いもあって割と頻繁に通院していたが、その後まったく落ち着いてしまい、昨年までは年に3回程度通っては検査を受けるのがルーティンになっていた。

しかし今年に入ってから自身でも右目の視力の低下に気づき、ドクターが交代したこともあって、受診回数がちょっと増えていたのだった。6月まではそれで済んでいたが、7月の初めになって右目の視界の市や中心部がはっきりゆがんでいるのに気づく。加齢黄斑変性のチェックシートを見ると見本のようにゆがんで見えるので、これはもう黄斑変性が始まったか、と思い定期検査の予約をくり上げて診てもらったところ、あにはからんや、OCTには黄斑部の穴がはっきりと映し出されていた。

「自然治癒はしないから、手術しか治療法はない」と言われ、その場で受けることを決めた。左目もぶどう膜炎以来の視野欠損がひどいのに、右目(これも元々視野欠損ありだが)も使えなくなったのでは、現在の仕事からすると、おまんまの食い上げになってしまう。受診前の時点では手術のことなど全く念頭になかったが、受けることにためらいは感じなかった。勤務の調整の都合上、「今ならまだ8月の勤務をやりくりすれば手術は受けられる」という算段が先に立って気がせいたのも確かだろう。正直なところ、怖いとか嫌だとか思っている余裕がなかったのだった。

手術前夜

話が前後するが、手術の前日の様子に戻ると、これは単にヒマだった。手術後は病棟から出られないと聞いたので、院内のコンビニに行って必要なもの(箱ティッシュ、水の1リットルボトル×2、おやつなど)を買うぐらいしか用事はない。病室は数千円の差額ベッド代を払ったので、4人部屋だが広く、スペースはそれなりに独立性があった。ベッドサイドのテレビの棚に冷蔵庫もついており、水やお茶を冷やしておけるのはありがたかった。他にロッカーと小さな机・椅子もあり、個人的にはこれで十分。欲をいえばWi-fiが欲しかったが、これはラウンジに行けば使うことができた。

この日あったことは、他は点眼の指導ぐらい。夕飯もありがたくいただき、シャワーも使わせてもらい(手術後には洗髪できないと聞いていたし)、ほかはスマホiPadで時間を潰す。こんなにのんびりしたのはいつ以来か分からないくらい、のんびり過ごして手術前夜は消灯の時間を迎えることになった。(たぶん続きます)

硝子体手術を受ける(2)

手術5日目の状態

忘れるといけないのでまずは今日の状態を書き残しておくべきだろう。

手術から5日目、眼球の中はガスと液体が半々ぐらいの状態か。人間は網膜に映った像を逆さまに補正して認識するので(眼球の外の世界はレンズで反転して網膜に映るため、補正しないと世界を逆さまに見ることになってしまうため)、認識する像としては空気の部分が下に、液体の部分が上に見えるということになる。さらにその外(外界)も見えることは見えるのだが、ちょうど逆さまにした金魚鉢を通して世界を見るような感じになっている。

液体の部分にはぱらぱらっと黒い点を巻いたような感じ。飛蚊症に似ているので網膜の傷かもしれないが、時間と供に目立たなくなっているような印象も受けており、今後どうなるかは分からない。黄斑円孔がふさがったかどうかもまだ分からず。当面あおむけに寝ることは禁じられているのもあり、なるべく下向きに過ごすようにはしている。痛みは目を盛んに動かすと感じることもあり、その意味で外に出るのはやはりよくないのかもしれない。パソコンは、文章を書くような場合は、顔を下向きにしたまま視線をあまり動かさずに操作できるので問題ない。

重いものを持つことと激しい動きは禁じられているが、散歩や家事はOK。普通の買い物ぐらいは出てもよさそうで、スーパーには行った。もっとも目を盛んに動かすと疲れる感じで、片目はほぼ閉じたまま。目立って不自由なことはないが、もう一眼の視野欠損(これは15年前のぶどう膜炎由来)もキツいこともあり、文字を読むのは面倒くさい。術後の経過次第では、いろいろ考えなければならないことはありそうだ。