内閣不人気

今日びの国民の程度を思えば、支持率などいちいち気にする必要はない。ドンマイ。
政治はその目標においてさえぶれなければ、手段における変更は許される。消費税や何やは手段だ。マニフェストで公約したからといって、変更が許されないものでもないだろう。「ぶれない」ことをうたい文句にする「みんなの党」とやらは、どんな国を作るのか。手段があって目標がない。自民党政権は、ある時期、公共事業をばらまいて国富を増すことで一貫していた。結果として、公共事業という手段自体が目的になり、今になって無駄なダム造りやら何やらを止められなくなっている。公務員改革もただの手段だ。その点でぶれないと言ったところで、何が偉いものか。
政治の目標とは何か。国民を不幸にしないことだ(国民を幸福にすることではない。大多数の国民を幸福にする方法など無いし、あるとしてもそれはまやかしだ。太平洋戦争開戦時に日本国民は高揚感に包まれ、一種の幸福状態になったが、むろん長続きはしなかった)。究極的には、戦争をしないこと。菅内閣のスローガンは「最少不幸社会」。パッとしないところが良いではないか。政権が美辞麗句をもてあそぶときはろくなことがない。北朝鮮を見ればいい。スローガンだけはご立派だから。社会を安定させることで、戦争への内的圧力を減らすことができる。そのための格差是正社会保障の持続可能化だ。至極もっともではないか。こういう方向性に国民が納得しないとすれば、やはり国民がバカだからか。菅内閣の問題点は、バカでも分かるメッセージを発することができないことなのだろうか。小泉元首相はその点すごかったな。誰でも分かる、というか、知的な人にはかえって理解できないようなメッセージを発することにかけては天下一品だった。
むろん、不人気は国民のせいばかりでもないとは思う。与党がひどい。鳩山前首相もなあ、あんなに程度の低い発言を繰り返すとは思わなかった。首相辞任の時点で政界引退すべきだった。ほかの議員も、そんなに露骨に選挙のことばかり気にせずともよいのに。たとえ一時は悪評にさらされても、国の50年、100年先を見据えた政策を通してくれればいい。いったん落選したところで、今の風潮なら何年かで返り咲けるのだから。