「運用の問題だ」

安保関連法案の賛成論者の書いたものを読んでいたところ、「法案自体には何の問題もない、運用の問題だ」と書いてあった。そう、まさしく運用に幅のあることが問題なので、それは運用の範囲を曖昧にしている法案の問題なのではなかろうか。
安保法制、賛成派の言い分を聞いていると、いつまでも日本の防衛がアメリカのおんぶに抱っこでいいはずがないという主張と、中国の脅威に備えるためにはアメリカへの忠誠をより明確に示さなければならないという主張が混じり合っていて、本当によく分からない。
かたや反対派の言うことも分かりやすいわけではなく、米国の日本防衛義務はそのままに、日本自体は軽軍備を維持していくという現状維持が基本になる。将来はどうするか、展望に乏しい、
対米自立と近隣との関係改善はセットで進めるべき。安倍政権はむしろ緊張を高めて対米従属を深める選択をしており、全く納得できない。東アジア安保条約が結べるようになるのはいつの日か。

もっとも、安保法制に反対する立場には、現実政治以前の不安があるだろう。そもそもこの日本という国家が、軍というものをまっとうに運用できるのかという不安だ。原発や新国立競技場の問題に見られる無責任体質、大義なきイラク戦争に参加したことへの無反省。最近の政府の振る舞いを見るにつけても、不安になる理由は十分ではないか。
さらに気になるのは天皇制のこと。解釈改憲で「普通の軍隊」を事実上復活させるというなら、天皇制は解釈改憲でどこまで拡張できるのだろう。
日本はアメリカやフランスのような民主国家ではなく、民主制を取り入れた立憲君主国だというのをお忘れなきよう。世界でただ一人の“emperor”を戴いた国なのだ。