『アフターダーク』

たまには売れ筋の本も。村上春樹の小説は一通り読んでいるのですが、今度の小説『アフターダーク』(ISBN:4062125366)も比較的早くに読めました。
最近の村上春樹の小説は象徴的なものを前面に出している印象を受けます。だいたい「世の中には闇にうごめく悪意のようなものが確固として存在するけれど、だからといって全く悪いことばかりではない」みたようなメッセージを小説の形で展開したものが『アフターダーク』だと言えば言えるでしょう。こんなふうに書くと何だか詰まらなそうですね……確かに血わき肉躍るような小説ではありません。『神の子どもたちはみな踊る』で最後、「熊のゾルバ」の話を主人公がポジティブに書き直そうと思ったのを覚えているなら話が早いでしょう。あんな感じで、とにかくまあ世の中暗いけれど少しはましな部分もある、というふうに書こうとしたんだなあと思います。以下物語の概略など。
眠ったまま起きない姉を持つマリは新宿で一夜を明かし、高橋(トロンボーンを吹く大学生)やカオルさん(ラブホテルのマネジャー)、コオロギ(同じく従業員)といった人たちと会いながら今の自分の位置を見つめ直す。マリの姉、エリは自分を狙う何かに脅かされつつ現実と非現実のあわいで眠り続ける。物語の最後、帰宅したマリはエリのベッドに潜り込み、姉との結びつきを確かめ直そうとしながら眠りに落ちる。エリには目覚めの兆候がほの見える──という感じ。まあ、何だか分からないでしょうが、物語が力強く読者を引っ張るような小説ではないので、それはそれでよいのです。
しかし、メッセージが旧作からの繰り返しであり、物語のけん引力も弱いなら、読者は何を楽しみにして読めばいいのか?となります。文体、構成、いろいろあるとは思うのですが、まず今回の『アフターダーク』は構成に凝っているとは言い難い。分量が少ないので、そんなに凝る余地がないというのが実情です。文体はどうか。全体に現在時制を用いているのが今回の特徴です。章ごとに時計の絵が描かれている通りに、一つの時間軸にそって読者と語り手が現在形で物語世界を眺めている、という形になっている。まあ、一つの工夫ではあります。しかし読者にとって面白い工夫ではないのも確かで、この点では別に魅力はないと言っていいでしょう。登場人物の会話が魅力的だった時代もありましたが、今の村上春樹は会話も過去の作品の反復に近い。困りました……あまり肯定したくなる点が見当たらないのです。『アフターダーク』を読んだ読者は、どう対応すればよいのか。
村上春樹」の名前で納得できるならそれでいい、というのが一つの、そしておそらく唯一の考え方でしょう。阪神ファンが、たとえ勝とうが負けようがひどい試合だろうが阪神ファンをやめないように、よほどのことでなければ村上春樹ファンをやめはしないし作品も読み続ける、というのは一つの立場として十分成立するでしょう。「村上春樹」自体を一つの長い小説として考えれば、『アフターダーク』も一断面として、「詰まらない」とか「わからん」とか言わずに淡々と受け止められるのではないでしょうか。しかし今『風の歌を聴け』をめくってみると、思いの外シリアスでぴりぴりした空気を感じます。『アフターダーク』の印象はむしろ茫洋としたもの。どちらの作品も同時代を反映していると考えたとき、どうしても現在の方が嫌な時代に見えるのは、作品の出来の差ゆえでしょうか。