藤田嗣治展

ekatof2006-05-19

16日のことですが。国立近代美術館の藤田嗣治展へ行ってきました。まず驚いたのは込み具合。平日の午後3時過ぎ、これくらいの時間帯は美術館は空いているものなのですが、入場待ちの行列ができており、案内は20分待ちと告げています。こんなに待つなら帰ろうか、とも思いましたが我慢して並ぶことに。実際には5分待ち程度だったので帰らなくてようございました。
藤田についての、私のそれまでのイメージはあまり良いものではありませんでした。裸婦像はなまっちろくて気持ち悪いし、画家本人の髪形も気色悪い。レオナルド藤田って何だ、レオナルド熊の親戚か?みたいな。レオナルド(正確にはレオナールか)は洗礼名で、奇矯な名付けをしようとしているわけではないのですが。戦争画は常設で何度も見ておりいい絵だとは思うものの、戦争画というのはあえて言えば、どの画家もいい絵ばかり。ドラマチックな危機的状況が現実世界で余すところなく展開しているわけで、一定の画力があれば誰が描いてもいい絵になってしまうのではないかと思うのです。
まあ、そんなわけで藤田展にはさほどの期待もしていなかったのですが、展示は予想を超えて良いものでした。まず量的に充実している。さすが国立近代美。広い会場を十分に使って画家の仕事をよく伝えます。
展示は時期的に、最初のフランス滞在期(1930年ごろまで)、終戦まで(45年ごろまで)、再渡仏から死ぬまで(60年代まで)の三つに分けられます。便宜的に初期、中期、後期と呼ぶと、初期で特徴的なのは有名な「乳白色の裸婦」。中期は中南米や日本を描いた普通の油彩画と戦争画、後期は子供の絵と宗教画──となりましょうか。
裸婦像も、決して悪くはありませんでした。白い砂やシーツの上に白い肌の裸婦を配して、かすかな濃淡の中に人物像を浮かび上がらせる。ミニマルです。うまいです。戦争画はドラマチック。「アッツ島玉砕」や「サイパン島同胞臣節を全うす」などはドラクロワもかくやという迫力で、強烈なメッセージ性を持ちます。勇ましいと言うよりは悽愴の気漂う作品。戦争プロパガンダとももはや呼べない立派なものだと思います。「神兵の救出至る」などと名付けられたプロパガンダ丸出しの作品(西洋人の住居に縛られた褐色の召使い、主人は逃亡したらしく室内は散らかっている。玄関口には銃剣を手にした日本兵の姿──という情景を描いた絵。すなわち、日本軍は白人を追って植民地を解放するものだと主張している)もありましたが(それはそれとして、やはりうまいのですが)。
なお良かったのは後期の奇麗な絵。『芸術新潮』にも出ている「動物宴」は本の挿し絵にでもしたいような面白みと不気味さが良い感じ。子どもたちを描いた絵も、奈良美智にも通じるような不安さを感じさせる一方で、奇麗な線と色遣いで見る人を良い気持ちにさせてくれます。藤田嗣治の絵は、年齢とともに色がどんどん奇麗になっていくのが印象的でした。子供を描いたタイル絵も、カラフルと言うと違うのですが、豊かな色彩で、それでいて懐かしいような色遣いで目が離せません。
評判になる画家というのは、やはり評判になる価値のある存在だということでしょうか。不明の観覧者にはありがたい展覧会でありました。
あ、あとオカッパの髪形は、パリに行った当初、自分でも散髪できるようにと考えたらオカッパになったとのこと。後年になっても、苦しかった修業時代を忘れないようにオカッパを続けたのだそうです。目立ちたいという気持ちが無かったとは思わないですけれど、それだけが理由ではないようで、思い込みで判断しちゃいかんなと思いましたです。