「愛のひだりがわ」

筒井康隆「愛のひだりがわ」を読む。良いタイトルです。おやっと思わせる謎があるし、響きもきれいで覚えやすい。人は見かけが9割だというなら、本はタイトルが9割でしょう。まあ、手に取ってみるまでの話ですが。本は人とは違うので、内容の良しあしまではタイトルに反映しないのです。
お話は少年少女向け。いわゆるジュブナイルというやつ。月岡愛という父に捨てられ母に先立たれた美少女が父親を捜して旅をする。愛ちゃんは左手に障害があり、その左側をかばうかのように入れ代わり立ち代わりさまざまな人だの犬だのが彼女に同行する──彼女は犬の言葉を理解し、意思疎通することができるのです。愛ちゃんがまじめな態度で良い生き方を学習していく過程と、周囲の人々の善意みたいなものが話の中心になります。
「わたしのグランパ」(これも良いタイトルだ)を読んだときも思いましたが、筒井康隆ジュブナイルを書くと、ゆるい。端正に気持ち良い文章を書きますが、その分か中身の密度を薄く感じます。「愛のひだりがわ」作中に、若いころは悪事にも手を出して財をなした不動産屋が、自分の娘だけは世間の害悪から遠ざけて育てたいと表明するシーンがありますが、ジュブナイルを書く筒井康隆自身と重なります。下世話になってもいいからもっと濃く書けばいいのに。小説に毒を込めるのをモットーとしてきたはずの人が、若者向けを意識した途端に毒にも薬にもならないものを書いてしまう。まあ、筒井康隆の書くものに本当に毒があるかどうかは微妙なところですが。
まあやっぱり、年取ってから子どもを相手にすると毒気が抜けるのでしょうね。仕方ないですか。