モーム『人間の絆』(中野好夫訳、新潮文庫版)

「新しいものは読まないの?」
サマセット・モームならときどき読むね」
サマセット・モームを新しい作家だなんていう人今どきあまりいないわよ」と彼女はワインのグラスを傾けながら言った。「ジュークボックスにベニー・グッドマンのレコードが入ってないのと同じよ」
「でも面白いよ。『剃刀の刃』なんて三回も読んだ。あれはたいした小説じゃないけど読ませる。逆よりずっと良い」
村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』)

『世界の終りと──』を読んだのはだいぶ昔の話ですが、中にモーム『かみそりの刃』についての言及があったのは覚えていて、その評価を額面通り受け取ったわけではないものの、『かみそりの刃』もやはりだいぶ前に読みました。これは確かに面白うございました。3回は読まなかったけれど。

『人間の絆』はそのモームの代表作。これについては私に記憶違いがあって、『世界の終りと──』のモームについてのコメントは「『人間の絆』に比べて『かみそりの刃』は読ませる」と言っていたような気がしていたのですが、今回改めて見てみると、『人間の絆』については何も言っていないのですよね。勝手に評価を下げてしまい、『人間の絆』には悪いことをしました。確かに『かみそりの刃』の方が上だとは思いますが、そんなに悪くない、面白く読める作品でした。

で、作品について。モームの自伝的作品として書かれたもの。主人公フィリップ・ケアリは物心つく前に父親を亡くし、母親も幼少時に死んでしまう。牧師の伯父夫婦に引き取られるが生活は面白くなく、学校でもびっこであるためにからかわれたりすることから打ち解けられず。ドイツへ遊学したり、絵の勉強をしにパリへ行ったり、会計事務所の見習いをしたり、無一文になってデパートでデザイナーをしたりとさまよいながら、最終的には天職とおぼしき医者になり、年長の友人の娘との結婚が決まって大団円……というところでしょうか。

もっともこれは、主人公絡みのプロットを線的になぞっただけ。他に重要な要素が二つ(少なくとも)あって、それは
(1)悪女ミルドレッドとの腐れ縁的関係。
(2)フィリップの神や人生についての信条の変化。
でしょうか。

ミルドレッドは、フィリップが医学生に成り立てのころに知り合った、ラファエル前派的な顔をした美女。ただし体はがりがりらしく「少年のような胸」などと形容されます。この女は、他の男の愛人になってフィリップの前から去ったのですが、子どもができたのを機に男に捨てられてフィリップにすがったものの今度はフィリップの友人と駆け落ちし、しかし生来浮気なその友人にもやはり捨てられ、またフィリップにすがる。恋情・同情・親切心と下降するフィリップの気持ちをよく理解できぬまま、ミルドレッドは生活が窮迫する中でいっこうに怠け癖を改めず。やがて自分を女性としてまったく評価しないフィリップに腹を立て家を飛び出すも、生計を立てるすべもなく体を売って暮らすうち梅毒に侵され、またもフィリップにすがる。しかしもはや普通の生活を営めなくなった彼女は商売をやめず、フィリップが最後に見たのも、夜の街へと消えていく姿だった。
──こうして書くと、何だか気の毒な境遇の女性ですね。怠惰で頭の悪い人間だからといって、そんなにひどい目に遭わせなくともいいようなきもします。まあ、フィリップの視点からすれば何ともやり切れない女なのですが。しかしこの女に振り回されるフィリップがいかにもうっとうしい。関係が最後に近づいて、もう恋愛から解放されたころになるとこちらも溜飲を下げることができるのですが。ただ、このミルドレッド、ファム・ファタールの典型として人気があるらしく、あさのあつこも子どものころに読んで魅力に衝撃を受けたらしい。まあ、子どもなら衝撃を受けるかもなあ。因果応報とはいえ梅毒ですし。

もう一つのポイントの、神と人生についての信条は、特に面白くありません。「偽善的」とほぼ同義とされるビクトリア的道徳観からの逸脱がいかに困難だったか、現代の日本からはほとんどピンと来ないということもありますし。フィリップの信条は結局、すべて無意味、みたいなところに落ち着くのですが。未来の妻の父親たる、年長の友人アセルニーの生活が、結局決め手になったのかもしれません。自分は無神論だが家人が神を信じるのはいっこうに頓着せず、場当たり的パッチワーク的な処世観で人生をつないでいる。神や宗教という土台を覆したうえで、人生そのものをあきらめて受け入れること、それが生きることだ みたいな感じ。でもこれって、今の日本なら誰もがやっていることに近い。感銘は受けませんわね。

モームが『月と六ペンス』や『かみそりの刃』でうまいと思うのは、登場人物に対する突き放した態度(だいたい書き手に重なるようなj語り手「私」がおり、主な登場人物には奇妙な距離を置いている)なのですが、この『人間の絆』は自伝的小説だからか、それほど突き放した感じはなく、それが主人公を余計にうっとうしく感じさせることになっています。フィリップは、基本的には聡明で善人だけれど、詰まらないことにくよくよし、しばしば独り善がりになるごく普通の人間で、つまり主人公を追っていても特に発見や感動があるわけではないのです。面白かったと言いつつ、なんか全然褒めるところがないですね(苦笑)。

モームの本領はおそらく、流れるような物語性と、細かく作り込んだ人物造形、生活感に満ちた情景描写、といったところだと思うのですが、それを書きだしたら大分量になりそうですやね。とりあえずここはこれでおしまいにしたい気分。

でもやっぱり主人公が孤児だと話が盛り上がりますね。『デイヴィッド・コパフィールド』も孤児でしたし。まあ、紋切り型ではありますから、その後カズオ・イシグロが『わたしたちが孤児だったころ』を書くことへとつながって行くわけでもありますが。