また子どもが自殺した。部活動の指導での体罰が一因のよう。子どもが指導に合わせるべきか、指導に子どもが合わせるべきか。自らの指導が正しいという信念がなければ指導者なんぞ務まらない、という声もあるだろう。信念第一、知行合一。立派なことのようでもあるが、クロムウェルロベスピエールも、毛沢東ポル・ポトも自分が正しいと思っていたことだろう。結果として大勢の人が死んだ。学校教育でロベスピエールごっこをやる人もあるまいが、信念は信念として、指導は子どもに合わせたものでなければならない。学校現場の最大の目的は子どもの健全育成なのだから、死なせてしまっては元も子もない。鉄拳指導もいずれは真意に気づいてくれる、結果として健全育成に矛盾しない、と指導者が考えていたとしたら、それは子どもに対する甘えだろう。従来の経験はあるにせよ、そもそも子どもは一人一人が違うもの。時代も変わる。指導者自身も変わらなければならなかったが、変わる前に事件は起きた。
とはいえ。この指導者を擁護するわけではないが、目の前の事実よりもそれまでの経験によりかかることで失敗する、というのはどこにでもある出来事ではないか。先日のトンネル事故もそうだった。アンカーボルトを真上に向けて打ち込む! そのボルトから重さ1トンの板をつる! たとえ接着剤を付けたところで、抜けるのは時間の問題だろうと素人でも考える。でもまあ、大丈夫だろう、と考えていた。これまで抜けなかったし、これからも抜けないんじゃないか、と。大間違い。事故になってから気がついても遅い。でも事故になるまで気がつかない。そんな物事があふれている。