衆院選の結果について

失敗の許されない仕事というものは確かに存在する。例えば航空管制官。失敗は即、事故につながる。一方で、あらかじめ失敗が前提とされる仕事もある。クリエーティブな仕事は一般にそうだ。失敗のない創作活動などというものはあり得ない。
政治はどちらか。ルーティン的な要素もあり(予算の策定などはそうだ)、その点で失敗は許されないが、新しいことを始めようというならば失敗はある程度覚悟されるべきではないか。そうした失敗を、国民に対する欺瞞と言ってしまうことは果たして適切かどうか。
国民は民主党にだまされたのだろうか、ということを考える。民主党にそもそも期待しなかった人はだまされたとも思うまいから、期待した人、票を入れた人が主にそう考えるのだろう。しかし、国会議員とは私たち国民の代表であって、貴族や君主ではない。投票した後はすべてお任せで鼓腹撃壌、とはいかない。票を投じた人自身が民主党政権であり、政権の失敗は投票者自身の失敗だったのだ――先年の政権交代の折に、曲がりなりにも自分たちを代表する政権が初めて発足した、と感じた私などはそう思うのだが、日本人は一般に失敗に対して不寛容すぎるようだし、失敗からやり直すことが苦手なようにも思える。経験不足から失敗したのであれば、なお経験を積ませればよい。少なくとも、09年の政権交代に期待した人ならば、今回はそう考えるべきだった。残念だが、日本はまた、政治の成熟を進める機会を逸した。
結果自体は、ああ、小選挙区だとこうなるんですね、としか言いようがない。振れ幅の大きな制度という特徴が、良くも悪くもはっきり出た選挙だった。自民党に票を投じた人はほとんど増えていないにもかかわらず、小選挙区は圧勝。低投票率創価学会の組織票がひときわ効果的だった。このまま今の制度を続けるかどうかは考え直した方が良さそう。そもそも今回の選挙が合憲かと云うことも疑わしいわけで。
自民党政権については特に言うこともなし。改憲で、集団安保で、国防軍、だそうで。軍隊が庶民の味方であった歴史、というのをどこからでもよいから引っ張ってきて教えてもらいたいもの。個々の軍人については措くとして、組織としての軍隊が戦争において庶民をジュウリンしなかった例などあるのかしらん。本当に国を守るというなら、いざという時のためのレジスタンス教育でも国民に施した方がよいのでは。ゲリラをかくまう方法とか、役人へのワイロの贈り方とか、地下活動のやり方とか――まあ、安倍晋三氏的な価値観統制好きの方には、最も許し難い方向でしょうけれども。