よい政治とは

どのような政治をよい政治と考えるかというと私の考え方は割と単純で、「民を虐げない政治」というのが、現実的に求めうるものとしてはまず上等な政治だと思っている。
民というのは国家に先立つものであって、民の便宜のために国家は存在するのだから、基本的に国家は民に義務を押しつけてはならない。むろん、国家をして民に奉仕させるために必要最低限の力が必要で、その力を維持させるために憲法に言うところの「納税」「教育を受けさせる」「勤労」という、いわゆる国民の三大義務というものが存在するのだが、大枠としてはその程度が限界ではないか。人を殺さないとか器物を破壊しないとかいうのは社会常識的に守るべきルールで、便宜的に国家が国民を罰するものだが、元々は民同士の関係において解決すべき問題である。
そこから考えると自民党憲法草案にいう「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」という文言は、ひどくトンチンカンで傲慢で更にいえば邪悪でさえある。国家が、それによって国民を従わせるために憲法を定めるという。たとえば「家族は助け合わなければならない」とか「緊急事態には国の命令に従わなければならない」とか。家族が助け合うのはよいことだと思うが義務にされると途端に息苦しくなる。緊急事態こそは民自身の判断で生き延びるのが大事なことではないのか。たとえば敵兵に降伏するなどということも、民自身の生きるすべとして否定されるべきことではないのだ。国の命令で集団自害しろとか言われてもねえ。まともな命令が下される保証もないのに変な義務を作られても困る。
そんなわけで今回の参院選、たたき台にしても無茶苦茶すぎる憲法草案しか出すことのできない自民党などが勝ってしまっては困るのだが、どうも自民党が勝つらしい。「民」はいなくなり国家に飼い慣らされた「国民」だけがはびこる。そういう心持ちを、奴隷根性というのではなかったかしら。