民主主義の機能不全

分断というものが世界中に蔓延しているとすれば、ここ日本でもそれは例外ではない。枝野幸男さんに対するツイッターの反応を見ているとそう思う。
枝野さんの東京などでの一部への人気は大したもので、演説を聞いて泣いてしまった、というようなエピソードも枚挙にいとまがないくらい。その一方で、枝野さんや菅直人元首相のせいで、東日本大震災の対応が遅れた、というようなことを言う人もいまだにいる。安倍晋三さんや菅義偉さんだって大したことはできないだろう、とは思うし、そもそもそうした批判をぶつける人が、当時何をしていたのかは疑問だが、言うだけなら自由だとは思うからそれをとがめるつもりはない。ただ、こうした認識のギャップはどこから生まれるのだろう、とは思う。同じように日本で生まれ育っている人が大半だと思うのだが。
さきの民主党政権や枝野さんのような人を批判して安倍自民党を持ち上げる人は、国家に頼る度合いがむしろ高いのだろうな、とは思う。自己責任の世の中づくりを推し進める政治家にこそ頼る人間が多いという逆説がある。そうした人は民主党政権の失敗を言うけれども、安倍政権も失敗し続けているようにしか見えないのだが。失業率の低下は労働力人口の減少によるものだし、給料は上がらないし、アベノミクスの金融政策は失敗しているし、北朝鮮は過激化するし。仲良しな外国の政治家は、強権型のトランプ、プーチンエルドアン――問題だらけ、ではないのか。上がったのは株価だけ。一般の人には何も良いことがなかった。逆に民主党政権の間、具体的に困ったことなど、私は何一つなかった。
まあ一方で、枝野さんの演説を聞いて、普通のことを言っている、というのに感動すること自体が現在の政治の異常さを示すものか。国民が政治家に虐げられるのを喜ぶ国になってしまっているのだから、選挙もなかなかむずかしい。立憲民主党も、東京と北海道ぐらいはまだ何とかなるかもしれないが、西日本は厳しいだろう。自民党創価学会という最悪の集票マシンに対抗するのは、ことほどさように難しい。野党共闘をぶち壊した前原誠司さんの罪はつくづく重いのだが、そもそも小選挙区制度に無理があるのだろう。死票の多いこの制度を何とかして変えられないものか。