『日本の名随筆3 猫』

猫について書こうという人間は冷静さを失うらしく、このアンソロジーでもけっこうな猫狂いぶりを披露してくれています。もっとも、そのバカさ加減が随筆をユーモラスに仕立てている場合もあって、猫というのは随筆の題材には悪くないものかもしれません。何といっても坂西志保がすごい。題名も「猫に仕えるの記」。

毎日散歩に行かなくては承知しない。田園の畔を通って手賀沼のほとりに出て、向うの山を一巡して帰って来る。自分が先に立って走って行くので、私は泥んこになって後からついて行く。そうかと思うと今度は道草を食っていて動かない。土竜の穴でも見付けると大変なことになり、懐中電灯をつけて、寒い風に吹かれながら私は本当に情なくなることがあった。

情けなかろうとなんだろうと、猫の散歩にそこまで付き合うのがすごい。終戦直後(1945年秋〜)の物の無い時代に、坂西家の「ポツダム」という猫は、ベーコンの入ったチーズやらオリーブの実やらをむさぼり食べ、チョコレートと砂糖で味を付けたミルクを飲んでいます。その日食べる物に困っている人がいる、とか全然構わずに猫に奉仕しているのです。引っ越し先のボス猫がいじめると言ってはおしっこに行く猫を護衛したり、雌猫の争奪戦に山を越えてついて行ったりと、ここまで猫を溺愛した人の記事は初めて。坂西は、戦前に渡米、アメリカ議会図書館の東洋部主任も務めた知的エリート。太平洋戦争の開戦で帰国し(戦中の「太平洋問題調査会」で、福田恒存の翻訳のまずさを坂西が叱りつけていたとか=久野収による)、戦後は国家公安委員とかやっている大変な人なのですが、猫に対してはこの仕えぶりというのがすごい。
坂西まで行かずとも、猫を大事にする姿は実に良いと思います。これは乾信一郎

六十六年前、つまり私が七つのころ、私は一匹のネコをタカラモノにしていた。ほんとうのタカラモノであった。ただひとりの親友でもあった。だから、家の中でも外でも、数少ない人間の友だちと遊ぶ時も、いつもこのネコをこわきにかかえるか、青いデニムのオーバーオールの胸当ての中に大切に入れているかした。

微笑ましくも可愛らしい姿が目に浮かびます。服の中の猫の柔らかさや温かさは、長く記憶に残ることでしょう。
まあ、とにかく猫です。むかし高校で飼っていた猫ももう死んじゃいましたでしょうか。賢くて美しい茶虎と甘えん坊でちょっとバカな黒猫。エサ代とか小遣いで賄うのはけっこう大変でしたが、もう少しいいエサも食べさせれば良かったな、と思ったりもします。