小西行郎『赤ちゃんと脳科学』

育児本というのはあまり読んだことがありません。漫画家のエッセーみたいな本は別として。まあ、雑誌や新聞で書いてあることで大体おなかいっぱいという感じでしょうか。育児についてはみな思い思いのことを書いたり言ったりしているようにも見え、どれも話半分というか半信半疑に聞いておくのが丁度良いくらいだと思っています。それでもこの『赤ちゃんと脳科学』(ISBN:4087201945)を買ってみる気になったのは、それなりのデータに基づいた話が読めると思ったから……ですが、脳についても分かっていないことが多いのを考えれば、何でも脳科学で解決!という本ではないことも明らかです。
この本の主張というべき部分は、最後で著者自身が要約してくれています。

(1)赤ちゃんは、自ら行動し、環境と相互作用する存在である。
(2)赤ちゃんの発達は、必ずしも右肩上がりではない。
(3)赤ちゃんも、一人の人間としてその存在を尊重すべきである。

何というか、普通の見解ではありますが、著者にとっては一種のコペルニクス的転回があったようです。著者はもともと、赤ちゃんに刺激を与えて反応を引き出すことを重要と考える立場で研究をしていたといいますが、オランダ留学を経て、赤ちゃんの観察を通じ、その自発的な行動を理解する方がより重要と考えるようになったとのこと。赤ちゃんが自分からいろいろ進んでやることを改めて知って、ショックを受けて帰ってこられたわけです。
実際の育児に当てはめて考えれば、外からいろいろ刺激を与えて、あれをやれぇこれもやれぇ、あれができたら次に進めぇ、みたいな感じで赤ちゃんに接しても、大していいことはないと。今の日本は情報や刺激の過多な社会なのだから、親は子供にさらなる刺激を与えるよりは、適度に刺激を遮断しながら赤ちゃんが自発的にやりたいことをやり出すのを待つべきだ、くらいの趣旨になるでしょうか。早期教育の広告とは対立するような見解ですが、今の日本ではむしろ穏健で受け入れやすい考え方でしょう。進歩よりも充足を、という感じで。
脳科学らしい部分は、例えば「シナプスの過形成と刈り込み」の話。赤ちゃんの脳にはやたらとたくさんシナプス(神経回路)があり、それが刈り込まれて減っていくことは知られていますが、その減少はもったいないことではなくて、むしろ大事なことだといいます。シナプスが多ければ脳は多様な情報を処理できるのだからと早期教育の重要性を強調する場合があるようですが(実例は私は見たことがない)、あまり早期に刺激を与えすぎると刈り込みのバランスが崩れ、行動に支障が出ると言います。ADHDなども、シナプスのバランスと関連づけて説明する説があるようです。あくまで仮説だろうと思いますが、バランスが大事というのは生活実感にもなじみやすい考え方です。
著者の物言いは断定が少なく、物足りない印象もありますが、不確かなことも多いのを考えれば誠実と言うべきなのでしょう。親は子供についてむやみに不安がらず、赤ちゃんを信じてそれなりにやっていきましょう、と一種のガス抜きの役割を果たす本です。研究の進展に応じて続編も出してくれるとよいのですが。ついでに言うと、著者が43歳から留学し、それまでと全く違った考え方に刺激を受けて研究を進めたという事実に励まされる本でもあります。人間幾つになっても学べるもんですね。