モダン・パラダイス

2本目は国立近代美術館の「モダン・パラダイス」。大原美術館との共同企画で、端的に言えば「いい絵がいっぱいだ!」。まず目を引くのは、会場に入ってほどなくして出合うセガンティーニアルプスの真昼」。セガンティーニは他の絵に交じって置かれていると、そこだけ光っているんじゃないかというくらい浮かび上がります。たくさんあると、むしろ目立たなくなるのかもしれませんが。関根正二の「信仰の悲しみ」や中村彝「頭蓋骨を持てる自画像」といった、見に行くことは思いつきもしないけれども一見して「いい絵」を、岡山まで行かずとも見られたのは幸運でした。初期のデ・キリコヘクトールとアンドロマケー」やモローの小品「雅歌」のような、画家個人の企画展ならば人が群がりそうな絵も、そう込んでもいない場内では真正面に立ってじっくりと見ることが出来ました。お客の入りが今ひとつだったのは、企画名のせいでしょうか。何が「モダン・パラダイス」かはよく分かりません。いくつか章立てしてあった最後には、裸婦像や女性像がたくさんありましたから、女性=母なる自然でオッケー!みたいな落ちなのでしょうかねえ。
ついでに見た常設展では、南薫造「少女」がとても良うございました。今まで見逃していたのか、運悪く当たらなかったのか。一見無造作に描いてあるような絵ですが、二度と返らないある一時を切り取ったふうの、切ない懐かしさを感じさせます。こういう感想の持ち方って、年を取ったということですかね。