最初はちょっと。最後は……

大阪市の2児放棄死。やりきれない話だ。母親がことさら無慈悲な人間だったとも思われないのが、一層やりきれなさを募らせる。ただちょっと意志の弱い人間が、ちょっと面倒くさいことをサボタージュし、それを繰り返すうちに常態化していき、結果的に最悪の事態に至った。
特別の出来事ではない。ラジオの英語講座みたいなものだ。初めはやる気満々でスタートしても、寝坊したりで一度でも聞き逃すと面倒になってくる。サボった回数が少ないうちに復帰できればいいが、サボるのが常態化すればそのまま挫折することになる。
以前テレビで見た「片づけられない女」の部屋では、ゴミの山からペットの死骸が出てきていた。これも初めは可愛がっていたのだろうが、段々と世話が億劫になり、餌やりを忘れ(あるいは忘れたことにし)、そのまま時間が経過すればもうどうでもいい気持ちになってゆき、死んだということも薄々気づいていながら、事態を放置していたのだろう。
面倒くさがりの人間はそもそもペットを飼ったり、子どもを持ったりしてはいけないのか。しかし普通は、ペットというのはそれなりに飼い主に働きかけをするから、完全に無視して餌もやらないというのは難しいはずなのだが。子どもの場合はなおのこと、親に対する働きかけは、気持ちの上では強いはずだ。特に乳幼児を完全にネグレクトするのは難しかろう。しかし実際にこういう事件が起きてみると、面倒な子育てから逃れて目前の現在を楽しむために、家に帰ることさえ避け、現実を直視せずに済ませようとする親もいることを認めなければならない。事実は事実として。
対策は難しい。仮に24時間対応で無料の保育所でもあれば、たとえ親が迎えに来なくとも、子どもが亡くなるという事態だけは避けられるだろうが、実現は困難だろう。今回の事件の女性は夜の仕事に就いており、保育所を利用した形跡もない。たとえホスト遊びにはまっていようと、子どもが保育所に通っていれば、育児の状況は察せられたはず。完全に密室での育児を許していれば、同じようなことはこれからも起きるに違いないし、今も起きつつあるのかもしれない。