十日の菊

尖閣諸島沖での、中国漁船が海上保安庁の巡視船にぶつかる映像がyoutubeに投稿され、結果的に公開されたとのこと(伝聞形なのは私は見ていないから)。投稿者は結局、海保の職員だったもよう。しかし誰が投稿したにせよ、あんまりうまくないことをしたとは思う。端的に言って、やりくちが子どもっぽい。

海上保安庁の職員にとって、今回のような事件で漁船の船長が「おとがめなし」となってしまったことは、職員の身の安全に直接かかわることだけに耐え難いことだろう。同情に堪えない。

それでも、ものごとが回復に向かっている過程で、しかもその足取りが不確かな段階において、わざわざ物議を醸すのがよいことかどうか。この1カ月ほどの間に、日本においても中国の現政権の立ち位置が見えてきた、とされる。比較的穏健な温家宝首相らの立場がむしろ危ぶまれ、保守的な勢力が台頭しつつあるという。日本が中国に対して批判を強めれば、国内の基盤が弱まっている現政権は、それに対して強硬な立場を取らざるを得ない。関係悪化のスパイラルに落ち込むだけだ。

民主党政権はようやく己が未熟であるのを自覚し、せめては大人っぽく振る舞おうと、中国に対しては終始「冷静な対応を」と呼び掛けていた。それが無効だったことには批判もあるだろうが、だからといって「本当はこうだったんだい」とばかりにビデオを投げつけたところで、何の効き目があるのだろうか。船長を釈放した時点で、ことは事実がどうかとか真相がどうかという次元を離れて、完全に単なる政治的問題になってしまった。動画の公開が何かを動かすということは、もう無いだろう。あえていえば、船長が釈放される前に公開すれば、なにがしかの効果はあったかもしれない。しかしもう遅い。六日の菖蒲、十日の菊だ。

それにつけても心配なのは海上保安庁の現場の士気低下だ。こんなビデオが出てくるようでは、現場の不満は相当強いのだろう。政府は投稿の犯人追及も大事だろうが(国家機密漏えいはそれなりに重罪だろうし)、現場担当者の慰撫と士気高揚につながる施策も、なにほどか用意してほしいと思う。

ついでに。民主党政権が未熟だとは書いたが、私たちはその未熟さを買えばこそ、彼らに政権を託したのではなかったか。自民党の旧弊を廃するには、未熟さとても武器になるのではないかと考えたのだ。今のところ、その未熟さはマイナスに働いてはいるが、あと3年程度はどうにか見守りたいと思っている。寛容過ぎるだろうか。