高橋源一郎『日本文学盛衰史』承前

文学も芸術であるならば、その使命というか目標は、世界を描くことではないか。描くとか切り取るとか直に触れるとか、言い方は大体だが。ラカンみたいな図式(らしい)になるが、人間は世界自体(現実界)へはアクセスすることができず、主として言語を媒介とした世界(象徴界)にしか触れることができない――本当かどうか知らないが、実感には即している。その中で、世界に直に触れたと感じさせてくれるものが芸術だろうと思っている。小説は言葉で書くものではあるけれども、積み上げられた言葉の総体としては、何か言葉では伝えきれないものを伝えなければならない。
花袋について「本当のこと」を書きたかったのだろう、というようなことを書いた。「本当のこと」は私なりに理解すれば上のような感じになる。必ずしも花袋が私と同じように考えていたということではないが。
さてしかし、「本当のこと」にアクセスする手段は、結局のところ言葉しかない。こと文学の場合には。二葉亭はそれでもう、自分が書きたいことにちっともたどりつかないのでうんざりし、「私は懐疑派だ」どいう凄まじく切ない評論(日本文学盛衰史でも冒頭で引かれていたけれど)にあるように、文学から遠ざかる。言文一致で人間の内面を描けるようになったはずなのだが、それはむしろ、苦労の始まりだった。