遠く未来のことを思う。それも政治の一義務である。未来のことを思わなければどうなるか、今の急激な少子高齢化が端的に物語っている。事が深刻になってからでは手の出しようもなくなる。
集団的自衛権という、よく分からない言葉が躍る。つまりは自衛隊に米軍のお先棒を担がせよう、ということだが、まずは抑制的に、とか何とか。近来の日本の政治を省みるに、近隣国との外交関係、誠によろしくないものがある。仮に日本が米軍の協力をあおいで中国やらと事を構えるならば、米軍の援護をスムーズにできるように、という話らしい。
戦争は絶対に拒否するが、戦争という現場において友軍を援護することができないような法制が存在するなら、それはそれで問題かもしれないとは思う。ただし、それは事が起こってからの話。なおかつ極めて限定的な局面をしか想定していない。日本に敵対的な国が、友軍を攻撃するというのは、いわゆる「集団的自衛権」を適用すべき理想的ケースに過ぎない。
未来を思えば、日本と中国が友好的になることだって十分に考えられるが、その時、中国とアメリカが敵対していないという保証はない。仮にこの、集団的自衛権とやらを承認した状態で、日本の友好国が米軍を攻撃したならば、どうするか。日本は友好国を敵に回して米軍とともに戦わなければならなくなる。くだらない戦争に手を染めなければならなくなる。
もっと現在に引き寄せてもいい。日本に対して敵対的でない国、例えば中東の国で自衛隊と米軍が多国籍軍として駐留していた場合。仮にあちらの武装勢力が、米軍を標的に攻撃してきたとしても、日本は米軍にお付き合いして、現地の人々を敵に回さなければならなくなる。なるほど、今の米国は世界中に敵を持つとも言えるが、それに付き合って世界中に敵を増やすのが集団的自衛権か。
よく考えてほしい。集団的自衛権とは何か。同盟国の敵ならば、己の敵でなくとも敵とするのが集団的自衛権の本質だ。普通の国は保持しているというが、それは現在の多くの国が、NATOやAUのような多国間の防衛協定を模索しているからではないか。日本のような、近隣諸国との関係が良くない状態で、アメリカだけを特別視した関係を結ぶことが妥当かどうか。
軽軍備を志向した吉田茂にしても、日本はいずれ再軍備すべきだと考えていたとは言われる。それが通常の政治だと。ただしそれは、近隣諸国との関係改善が先に立ってのこと。安倍晋三内閣の姿勢は、敵を作りつつ敵をひっぱたく体制を整えるという、どう考えてもけんか腰の態度だ。このような状態で「集団的自衛権」とやらを承認することには、断固として反対する。