リスクに耐性を

トルコの少数言語の研究者である小島剛一氏は、教鞭を執る地フランスから、申請をしてもいないのに永住権を賦与されたという(『漂流するトルコ』)。トルコとフランスを行き来する謎の外国人の行状を見極める目がフランスにはあったということだろう。よく分からない人物だが敵ではない、我々の得がたい情報を手に入れることができる人物であって、便宜を図るにしくはなし、と。
小島氏はその後、スパイという嫌疑を受けてトルコには入国できなくなったが、今はやりの言葉で言うならば一種のインテリジェンスの担い手と目されたのだろう。念のために言えば、著作からうかがえる小島氏はスパイでも何でもなく、知的好奇心に満ちた筋金入りの研究者である。
ともあれ、人の行かない土地へ行き、ぶらぶらして現地の人の話を聞き、情報を持って帰る人。ジャーナリストでも研究者でもよいが、やはりそういう人は必要なのだ。たとえ確率的に、人質にされたり殺されたりするリスクがあるとしても。日本がなんちゃら平和主義だのと言い出すならばなおさらのこと。そう考えれば、日本政府はもっと後藤健二さんのような人を大事にすべきだし、国民もその種のリスクにいちいち過剰反応しない態度を身につけるべきだ。薄情な言い方になるが、「自分が殺されるわけでもない」。仮にイスラム国による日本国内での破壊行為が起こりうるとしても、後藤さんのせいでリスクが上がるわけでもない。
まあ、なんちゃら平和主義は正直言って願い下げだが情報が必要なのは確か。政府は後藤さんに対して「3度渡航中止を要請した」とアリバイ作りのごとくに言っているが、そんなこと言う必要もない。1億人もいる国だ。何かしらやらかす人は出る。政府に必要なのは、そのような人でもきちんと活用すること、そして確率的に起こりうる危険に備えること。今回はイスラム国という相手が悪すぎただけの話。
ところで私は相変わらずイスラム国と書きますね。国のようなものを志向している組織なのだから、「国」を使った方がむしろ実態を反映するだろうと思うので。あまりテロ組織という言い方もしない。テロリズムの定義は案外難しいと考えるので。テロには恐怖を背景にした主張が必要。イスラム法にのっとる国家の実現と、彼らの残虐行為との関連が分からないので、テロとも呼びにくい。ところで首切りとCIAの拷問とではどちらの方が残虐なのでしょう。よく分からない。もっとも、イスラム国においても拷問が横行しているだろうことは想像に難くないが。