老いること、そして義務の放棄

曽野綾子産経新聞に書いたコラムがひどいと話題。確かにひどい。昔から独善的で偏ったものの見方をする人だったとは思うが、ここまでひどくはなかったのでは……「戒老録」とか、それなりに面白く読んだ気はする。やはり老いたのだろう。読むに値するものを書けなくなった。毎日新聞のインタビューで、最近は産経新聞にしか書かせてもらえない、みたいなことを言っていたが、それは言論界から締め出しを食っているというのとは違う。書くものが幼稚でもはや掲載に堪えなくなったからだと思うべきなのだ。しかしまた、そのように考えることができなくなるというのも、老いの一面に違いない。自身の「戒老録」を読み直してはいかがか。
コラムについては詳述しないが、まず問題なのは、人間を「黒人、白人、アジア人」というように肌の色で区別する考え方。違う人種の人間は扱いをたがえて構わない、とする考え方はアパルトヘイトと極めて親和的である。ご本人は差別を称揚したつもりはないとのたまっているが、少なくとも、差別というものはこうした考え方と地続きに存在している。
しかし何より、こんなコラムをのせてしまう産経新聞が問題。掲載に値するものを吟味する作業を怠っている。マスコミとしての義務の放棄であり、許容できない。