平和ぼけの国。それとも?

これを平和ぼけと言うのだろう。もちろん安倍晋三首相の靖国参拝を指して言っている。何をしても戦争にはならないだろう、万一戦争になったとしても負けないだろうし、大したことにもならないだろう、という思い込み。このような思考をまさに平和ぼけと言う。
安倍首相のしたこと。すれば必ず相手が怒ることをした上で、いやいやこれにはあなたの言うような意図はない、と説明する。人を小バカにしているか、あるいは確信を持って挑発しているかのどちらか、にしか見えない。
にもかかわらず、安倍首相はそうした意図はないと言うだろう。そう言えば言うほど、怒る相手を嘲弄するようにしか見えないのだが、もしかすると安倍首相は本気で、中国や韓国を愚弄する気はないのかもしれない。だとすれば安倍首相は政治家とは言えないし、そのような人物を首相の座に頂いている日本国の事態は相当深刻だ。
あるいはもしかすると、安倍首相は、もはや国益を尊重することをやめたのかもしれない。第一次政権で失敗した結果、なにか大事な部分が壊れたのではないかと危惧する。国益とか七面倒臭いことはもうほどほどにして、とにかく自分がカッコよく見えて、気分よくいられるような政権運営をすることにしたのかもしれない。何にせよ反対するものは反対するし、だったら難しいことは考えずに、したいようにしよう、そうしないとおなかも痛くなるし、と。
もし岸信介であれば、信条は抜きにして、参拝はしなかっただろう。参拝しないことが外交カードになるという、国家主義的政治家ならばこそのメリットを生かさない手はないからだ。そして自分の自制ぶりをアピールすることで、中国や韓国の反日ぶりがいびつであることを強調し、日本の立場を有利にしようとするだろう。それが政治的思考だ。
思考をやめて、決断だけを振り回す政治家はひたすら危険だ。しかし与党にも野党にも、反対する力は無い。国民はどうする?
スマホからの書き込みはしんどいので、とりあえずここまでに。