「幻影の明治」続き

前日の補足として若干のメモ。
司馬遼太郎先の大戦で軍と日本の非合理を憎み、結果として合理主義、近代主義を志向。そこから日本がよりマシだった時期を求めて、幕末〜日露戦争期を持ち上げる形で描くことになる。弱者が強者になることを憧れる物語として。
一方の山田風太郎先の大戦で直面したのは「主義」自体が信じ得ないものだということだった。風太郎は戦争中に非合理主義を憎んだが、敗戦で一転愛国に傾く。これは風太郎がおかしいというよりは、社会の変わり身が唐突すぎたのであって、筋が通っているのはむしろ風太郎の方だった。
風太郎には、そもそも強者に共感できないメンタリティーがある。弱者が強者に一矢報いることを何よりの快とする。強くなろう、とは考えない。なぜなら、弱者と強者が入れ替わったところで、その関係を支える構造自体には何の変化もないからだ。強者が弱者を蹂躙するという構造自体が温存されることを風太郎は嫌った。